矢板から車で少し入ったところにある山縣有朋記念館を見学してきましたので、簡単にご紹介します。〔25年12月訪問〕
久し振りのエクシブ那須白河に行く途中、東北道を矢板北で降りて、山縣有朋記念館に向います。
先日、小田原で、山縣有朋の別邸古稀庵を見学してきました。
その古稀庵にある建物がここに移築されているのだそうです。
「山縣農場」が広大に広がっています。裏の森林も所有しているとのことです。
左奥にかすかに見えるのが、記念館の建物です。

山縣農場は、元来第三種官有地であった天然林約150町歩、草山600余町歩の山野を渋澤栄一氏が牧場経営を計画していたもので、山縣有朋が譲り受け、明治19年(1894年)正式に払下げとなりました。以来移住者を受入れて開墾と植林に力を注ぎ、有朋の考える”農は国家経済の基本”を自らこの地で実践しようとしたものでした。
篠原も畑となる世の伊佐野山 みどりにこもる杉にひのきに
この有朋の詠んだ歌のように篠の生い茂るばかりの荒地を水田と畑に開墾し、雑木山を植林して生産性のある農場に育てるために、明治17年(1884年)移住農家を招致する規則を作り、農家の次三男で土地を持てない人たちを募集しました。その結果、栃木県内外から44戸300余人が当地に移住して開墾事業に取り組み、創業当時は伊佐野農場と呼ばれており、その状況は農場管理者であった森勝蔵が残した三巻からなる絵巻物『伊佐野農場圖稿』に詳しく記録されています。
新しい農場を築くには、移住して来た人達の独立と日々の生活を確立することを優先し、農場主と結び付き、親子のような絆があってこそ開墾、造林という困難な事業の成功と、山縣農場の基盤ができあがるという理念のもと、昭和9年(1934年)には、本農場創業50年記念として小作人に土地を分譲しました。これは開設当時より、有朋が計画したことであり、その遺志を継いで三代有道が行った業績でした。現在の、矢板市上伊佐野、下伊佐野、平野の区域にまたがる耕地と山林が旧山縣農場であり、字名として「第一農場」「第二農場」として残っており、創業120年あまりを経た今日もその姿を留め、地域との絆も深いものがあります。
〔記念館ウェブページより〕

農場のはずれと思われる場所に、駐車場があります。かなり閑散としていました。

「やいたの建物十選」だそうです。

駐車場の周りは森林でした。ちょうど、猟友会の方と思われる方が車を停め、猟銃を肩にお向かいの山(写真だと右側の方)に入っていきました。記念館の人によれば、当然のごとく、熊がいるとのことでした。

森の脇の道を記念館に向って歩いていきます。

ちょっと高くなったところに建物があり、その手前に説明の看板がありました。

建物が2つ並んでいます。奥が小田原から移設した建物、手前は後に増設した建物だそうです。

山縣有朋は築庭造園に高い見識と手腕をもち築庭構想の巧みな名手と評価され、彼の残した「椿山荘」「無鄰菴」「古稀庵」の3つの庭園は近代日本庭園の傑作といわれています。
■小田原板橋「古稀庵」
明治40年、70歳(古稀)を迎えた有朋が、小田原の板橋に別邸を建て「古稀庵」と名付け、晩年を過ごしました。東京の庭園師 岩本勝五郎に指示して築いた庭園は、相模湾と箱根山を借景とし、箱根からの自然水を取り入れ、風祭に水源池を設けてそこから引いた水で滝を作るなどの工夫を凝らしており、有朋の庭園観を生かした名園と称されています。この古稀庵は現在、あいおいニッセイ同和損害保険株式会社の小田原研修所となっており、毎週日曜日に一般公開されています。当館の「明治の洋館」(文化財)はこの古稀庵内に建てられたものを大正12年に移築したものです。
〔記念館ウェブページより〕

左側の建物は、明治42年に当時の帝室技芸員・伊東忠太工学博士の設計により、有朋の別邸小田原古稀庵に建てられた木造洋館です。
有朋は大正11年に亡くなるまで、この古稀庵にて、当時の元老や歴代首相をはじめ、閣僚、重臣などと頻繁に国事を論じたといわれています。大正12年の関東大震災で被災損傷したのち、嫡男伊三郎が栃木県矢板市の山縣農場内に移築して現在に至っています。
設計者の伊東忠太(1867-1954)は、明治・大正・昭和期の建築家・美術史家であり、日本の洋風建築の先駆者でありました。平安神宮、明治神宮、大倉集古館、築地本願寺など多数の建築を設計しています。また法隆寺が日本最古の木造建築であることを確認した建築史家としても有名です。
当館は、当時の洋風建築の様式が随所にみられます。玄関及び各部屋に通じる欅(けやき)のドアには、山縣有朋のイニシャルのA・Yをデザインした装飾が施されています。2階の客間と廊下を仕切るガラス戸は引込式になっており、その上の欄間は回転式ガラス戸の珍しいものです。明かりとりの窓や居室の窓はマッキントッシュの影響がみられる直線的デザインで、その後の大正から昭和初期の洋館の典型的な様式として流行しました。現存する数少ない明治時代の洋風木造建築物の一つとして、平成2年1月に栃木県有形文化財に指定されています。
〔記念館ウェブページより〕

建物の右側に玄関がありますが、そこは使っていないそうで、左側の扉から中に入ります。
中は撮影できませんが、記念館として、建物の中を見ることができ、また、山縣有朋関係の展示がされていました。
入館料は700円で、ひとまわり見て戻ってきたら、コーヒーをいただくことができます。ゆっくり座って、スタッフの方にお話をお伺いして、勉強になりました。
私たちの前に1組、見学に来ていた方がいましたが、空いていて、ゆっくりと見ることができました。

