修善寺の街の中心部、修禅寺を中心としたエリアを散策してきましたので、ご紹介します。〔26年9月訪問〕
9月の伊豆旅行。リゾーピア熱海に宿泊です。
城ケ崎海岸で吊り橋と灯台を楽しんだ後、修善寺観光に来ました。初めての訪問です。
駐車場から見た桂川です。川の両側に見所があります。

広場にあった観光案内図です。①修禅寺、②独鈷の湯、③筥湯、④竹林の小径、⑦指月殿などを見回りました。見所がギュギュっと詰まった感じです。

筥湯。日帰り温泉で、平成12年にオープンしたそうです。その前に、夏目漱石滞在100年の案内板がありました。「修善寺の大患」ですね。

筥湯には、修善寺の街並みが一望できるという展望楼「仰空楼」が併設されています。こちらには、無料で登ることができます。
修善寺にかつて7つの外湯がありました。現在まで残ったのは「独鈷の湯」のみでしたが、平成12年に筥湯がオープンし、外湯が復活しました。
内風呂のみの小さな温泉施設ですが、風情ある温泉情緒を味わえます。
修善寺の街並みが一望できる展望楼「仰空楼(ぎょうくうろう)」も併設されているので、温泉に浸かった後、登って修善寺温泉を上から眺めるのもおすすめです。

というわけで、早速登ってみました。渡月橋。右奥が駐車場(御幸橋駐車場)です。

川の向こうに、修禅寺が見えます。確かに、この点望楼からは、街を一望できます。

修禅寺の下に、独鈷の湯があるのですが、目の前の建物の陰になってしまっていて、見えませんでした。

展望楼を下りて、少し進むと、川向こうに独鈷の湯が見えます。川沿いの通りから河岸に降りたところです。

そして、手前には、リバーテラス杉の湯。なんと、「涼感足湯」として、ひんやりとした足湯を提供していました。
修善寺温泉街にある独鈷の湯公園内にある、桂川のせせらぎや独鈷の湯などの温泉街風情を感じながら足湯を楽しめる場所。足湯の横幅は5.6m、深さは約25cmです。白い人工大理石のテーブルが付き、読書などでゆっくりと過ごすことができ、夜は下からライトアップされ幻想的な雰囲気になります。
※ 杉の湯の名前の由来は、以前修善寺温泉にあった7つの外湯のうちの一つ『杉の湯』から付けられたものです。

対岸から見ていたら、見学の人が続々と降りてきていました。私たちは、あとで向かいます。

先程の足湯、「リバーテラス杉の湯」のある独鈷の湯広場です。
桂川河畔に湧く修善寺温泉発祥の『独鈷の湯(とっこのゆ)』の対岸側にある公園。
その昔、桂川の河原で病気の父の背中を流していた少年を不憫に思った弘法大師(空海)が、持っていた仏具(独鈷杵とっこしょ)で川の岩を打ち霊泉を湧き出させたという伝説の『独鈷の湯』にちなんで作られた公園で、石造の独鈷杵のオブジェや、湯掛け稚児大師像があります。
公園内にはテラスと足湯が設置され(リバーテラス 杉の湯)、桂川のせせらぎ、独鈷の湯を眺めながらゆったりと過ごすことができます。ユニバーサルトイレも完備。
2024年6月10日 ポケモンのマンホール『ポケふた』が設置されました!
〔修善寺観光協会のウェブページより〕

片隅の木の枝に、ひっそりと風鈴がつるされていました。なぜこんなところに、という感じですが、まだ暑い季節が続いているので、ちょっと良い感じですね。

街中には、観光スポットの案内標識が立っていて、なかなかわかりやすくてよい感じです。次は、指月殿を目指します。

ちょっと坂を上がった上にありました。
修禅寺に対面した鹿山の麓に位置する指月殿は、北条政子が息子・頼家の冥福を祈り菩提所として建立したものです。数千巻の経文を寄進し菩提を弔ったといわれていますが大半は散失し、現存するものはわずか8巻。そのうちの第23巻が静岡県指定文化財として修禅寺宝物館に置かれています。
この建物は伊豆最古の木造建築といわれており、本尊の釈迦如来像は、禅宗式という珍しい形で、持物のないはずの釈迦像が右手に蓮の花を持っているのが特徴です。
〔修善寺観光協会のウェブページより〕
桂川を挟んで相対する鹿山の麓にあります。修善寺で暗殺された頼家の冥福を祈って母政子が修禅寺に寄進した経堂で、伊豆最古の木造建築物といわれています。この時宋版大蔵経、釈迦三尊繍仏なども合わせて寄進し、門前の虎渓橋も架け替えたといわれています。堂内中央に禅宗式という珍しい様式の丈六釈迦如来座像が安置されていますが、持ち物はないはずの釈迦像が右手にハスの花を持っているのが特徴です。堂に向かって左手に頼家の墓があります。

そして、指月殿の脇には、源頼家の墓があります。
指月殿境内に頼家の墓があります。父頼朝の後を継いで、18歳で鎌倉幕府の二代将軍になった頼家は、やがて政争に巻き込まれ修禅寺に幽閉された後、北条時政の手により23歳という若さで、当時修禅寺門前の虎溪橋際にあった筥湯で暗殺されました。
〔修善寺観光協会のウェブページより〕

坂を下りてきて、竹林の小径に向かいます。

歩いて少し行くと、竹林の小径です。

両側に綺麗に竹が生えていて、気持ちの良い小径です。
温泉街の中心部を流れる桂川に沿う遊歩道。とっこの湯から続く小径を歩いていくと、茶処や昔懐かしい火の見櫓が散策する人々の目を楽しませ、竹林の中央では大きな竹製の円形ベンチで風を感じることが出来ます。日没後はライトアップされ、夜の散策も堪能できます。
〔修善寺観光協会のウェブページより〕
平成6年(1994年)から3年間を費やして整備された温泉街の中央を流れる桂川沿いの散策道、竹林の小径(ちくりんのこみち)。
竹林の小径を歩くと、茶処や火の見櫓が懐かしく、竹林中央にある大きな竹の円形ベンチに座れば竹林を通る風を感じることが出来ます。
日没後はライトアップされ、円形ベンチは切り絵が投影されるアートスポットになります。幻想的な夜の散歩をお楽しみいただけます。
浴衣や着物を着て散策や、人力車での観光、麦わら細工「提灯ほたるかご」を作って夜散策するのもオススメです。

ライトアップの時間ではありませんでしたが、見上げると、日が差し込んで、青い竹が綺麗に輝いていました。

楓橋です。この界隈では、5つほど橋が架かっているようで、恋の橋巡りなんて企画もあるようです。
桂川に架かる5つの橋は、恋愛成就パワースポット。修善寺温泉場の中心部を流れる桂川。この川に架かる、5つの橋には恋の言い伝えがあり、5つ全ての橋を願いをかけながら渡ると恋が実るといわれています。新歌舞伎『修禅寺物語(リンク先:『歌舞伎演目案内』)』で、将軍源頼家と頼家が面作りを頼んだ職人の娘・桂が愛を育む舞台となったのがこの修善寺。ちなみに、5つの橋の名前はそれぞれ別名があります。
・渡月橋(とげつばし) 別名:みそめ橋
・虎渓橋(こけいばし) 別名:あこがれ橋
・桂橋(かつらばし) 別名:結ばれ橋
・楓橋(かえでばし) 別名:寄り添い橋
・瀧下橋(たきしたばし) 別名:安らぎ橋
・・・出会って、結ばれ、寄り添って安らぎを感じる・・・それが恋愛を『成就』させる。願をかけて5つの橋を渡ったら、指月殿へ行って願いが通じるか”お伺い石”で占ってみてください。
5つの橋には、それぞれ橋を表すシンボルの『橋紋(きょうもん)』があり、橋のどこかに御影石で出来た橋紋が埋められています。橋ごとに橋紋の埋められている場所が異なります。恋の橋めぐりと一緒に橋紋さがしも。 全部見つけられると、更なる幸運が待っているかもしれません。
それぞれの橋紋には、橋の名前が刻まれています。ぜひ探してみてください。

竹林の脇の渓流も、趣があります。

橋を渡った先には、しゅぜんじ回廊という屋外ギャラリーがあります。

古い修善寺の写真などが展示されていました。
竹林の小径の途中にある和風ギャラリーです。年間を通して修善寺の歳時記の写真展など、修善寺ゆかりの企画展が開催されています。散策時にはぜひ御立ち寄りください

足湯の河原湯です。ぱらぱらと入っている人がいました。

そして、独鈷の湯です。

諸国を行脚中の弘法大師が、桂川で病父を洗う少年を見て心うたれ、独鈷杵(仏具)で川の岩を打ち霊湯を湧出させ、父子に温泉療法を伝授したという、修善寺温泉発祥の湯です。
〔修善寺観光協会のウェブページより〕
修善寺温泉の中心を流れる、桂川河畔に湧く修善寺温泉発祥の湯。
大同2年(807)、修善寺を訪れた空海(弘法大師)は桂川で病気の父の身体を洗う少年の孝行の心に打たれ、持っていた仏具(独鈷杵)で川の岩を打ち霊泉湧き出させた。
その湯に浸かったところ父親の病気はたちまち癒え、温泉療法が広まったと伝わる。現在も自然石を使用しており、修善寺温泉の象徴的存在。
(修善寺温泉は伊豆最古の温泉街と言われています。)
※独鈷の湯は見学のみで、入浴は不可となっております。足湯としても利用できません。
足湯をご利用の場合は、すぐ近くに『河原湯』、対岸の独鈷の湯公園に『リバーテラス・杉の湯』がございますので、そちらをご利用ください。

先程のギャラリーで展示されている写真では、ここで入浴している様子が見られましたが、いまは、利用することができないそうです。

道路から降りてきたところにあるので、橋も少し見上げる形になります。

そして、さらに川沿いの道を進んだ先に、修禅寺です。川沿いから階段を上った高台にあります。

弘法大師空海が大同2年(807年)に開基したと伝わる古刹。源頼家が幽閉され非業の死を遂げ、岡本綺堂の戯曲「修善寺物語」で有名になった頼家ゆかりの古面や、北条政子が寄進した放光般若波羅密教などが宝物館に納められています。
【修禅寺の変遷】
鎌倉初期になって建長年間(1250年頃)に蘭溪道隆(臨済宗鎌倉建長寺開山の宋禅僧)が住し、桂谷の風致が支那の廬山に似ているところから当時は肖廬山と号した。 南北朝時代の康安元年(1361年)になって畠山国清と足利基氏との戦禍を受け、応永9年(1402年)には火災を蒙り、永徳元年(1489年)に至り、韮山城主の北条早雲が外護者として再興し、叔父の隆溪繁紹(遠州石雲院)が住して曹洞宗に改宗され山号も福地山と改められ今日に至る。
宝物館(瑞宝蔵)には修禅寺物語ゆかりの古面などが展示。
手水場は龍の口から温泉が流れる。
〔修善寺観光協会のウェブページより〕
正式名称は、福地山修禅萬安禅寺(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)。
修善寺温泉発祥の寺で温泉場の中心にあり、平安時代初期の大同2年(807)弘法大師の開基と伝わっています。鎌倉時代に北条氏が帰依したことから寺運が隆盛となり、堂塔が連なる大寺となりました。一方、建久5年(1194)源の範頼は兄将軍頼朝の猜疑を受けここに幽居、梶原景時に攻められて自刃したといわれています。
また、頼朝の長子で2代将軍頼家は、母政子と祖父北条時政の謀略により幽閉され、元久元年(1204)入浴中に暗殺されるなど、源氏一族の骨肉相はむ悲劇の舞台となり、源氏滅亡の場として歴史にその名を残しています。
隣接の宝物殿「瑞宝蔵」には、空海が温泉を湧き出させたという金銅の独鈷杵、北条政子が我が子頼家の冥福を祈って寄進した宋版放光般若経、岡本椅堂が戯曲「修禅寺物語」を書くヒントとなった2代将軍頼家の最期をうつしたといわれる木彫りの古面などが展示されています。
平成26年9月には、山門の修復に伴い仁王堂が新設され、長い間指月殿に安置されていた金剛力士像が山門の仁王堂におさめられました。

修禅寺の前から、筥湯を眺めます。展望楼が良く見えます。

さらに道を進んだところに、日枝神社があります。

修禅寺の東隣にある静かな佇まいの神社。鳥居をくぐるとマキ、ケヤキ、スギの見事な老大樹が一本ずつ並び、参道をおおっています。ケヤキの巨木の根元には信功院跡の表示と石の庚申塔がひっそりと、源範頼の悲劇の跡をしのばせます。
境内には県の天然記念物に指定されているイチイカシの巨木と、二本の杉の間を通ると子宝に恵まれるという言い伝えがある樹齢800年の「子宝の杉」があります。
〔修善寺観光協会のウェブページより〕
日枝神社は、隣にある修禅寺の鬼門に当たり、もとは修禅寺の山王社(鎮守)で弘法大師の建立といわれています。明治初年(1868)の神仏分離令により分離されました。
境内にそびえる根周り約5.5m、高さ約25mの「一位樫」は、伊豆には珍しい樹木として県の天然記念物になっています。また、2本の杉の根元が一つになっている樹齢800年以上の「夫婦杉」があり、日枝神社は子宝祈願の神社としても有名です。以前は2本の杉の間に階段が設けられ、くぐることができましたが、現在は樹木保護のため階段は外されています。日枝神社境内は源範頼が幽閉されていた信功院があった場所でもあります。厳かな風景の中で心を鎮めて、樹木のパワーを感じてみませんか…。
例祭は毎年10月第3日曜日の前日に行なわれます。修善寺温泉街を中心に、神輿やシャギリの山車が練り歩き、御神酒所では観光客にも御神酒が振る舞われます。
【一願成就のお守り】
日枝神社の社務所で手に入る「一願成就お守り」は、地元産の藁を使った一点一点手作りのお守り。ちりめん細工の色が一つずつ違い、どの色が手に入るかはお楽しみ。ただし、日枝神社の社務所が開くのは週4日ほどで、さらに数量限定のため、なかなか手に入らない激レアなお守りです。社務所が開いていたら是非手に入れてください!
※返納する必要がなく、手元においておけるお守りです。

夫婦杉です。この写真だとわからないですが、2本の杉の根が1つにつながっています。

境内には、絵馬の自動販売機がありました。支払いは、キャッシュレスだけだそうです。

お散歩の途中、川辺のカフェでお茶をしました。生わさびソフトではなく、アイスティーをいただきました。

修善寺の中心街散策。凄く楽しかったです。

