箱根板橋にある山縣有朋が作庭した庭園など別邸群を見てきましたので、ご紹介します。〔25年9月訪問〕
概要
湯河原に行く途中、小田原で途中下車して箱根登山鉄道で一駅。箱根板橋駅です。
ちょっと高台になったところに明治の別邸群があり、小田原市が整備して公開しています。
箱根登山鉄道の箱根板橋駅。小さくて静かな駅です。バス停も駅のすぐ前にあるので、バスで来ることも可能だと思いますが、箱根登山鉄道だと小田原から1駅で3分です。

駅前のすぐ前に郵便局がありますが、それ以外は特に目立ったものはなく、静かなエリアです。郵便局の脇の道を進んでいきます。

住宅街の静かな道を行く感じですが、案内標識がしっかりしているので、迷うことなく進むことができます。
今回は、古希庵、皆春荘に、松永記念館を目指します。そのほかにも、三淵邸や甘粕荘など、見どころがあるようです。

しばらく進んだ後、上り坂です。それほど距離は長くないですが、比較的急な坂で、この先に皆春荘や古希庵があります。

皆春荘
坂を進んでいった先、皆春荘です。

観覧無料で公開しています。
皆春荘は、箱根登山鉄道・箱根板橋駅より北西へ徒歩10分に位置する神奈川県小田原市板橋の歴史的建造物です。平成28年(2016年)小田原市の歴史的風致形成建造物に指定されました。
第23代内閣総理大臣の清浦奎吾(肥後出身)によって明治40年(1907年)に土地が購入され、清浦の別邸として建てられたものです。その後、大正3年(1914年)に山縣有朋令夫人「吉田さだ」(吉田貞子)の名義で南に隣接する古稀庵と総称される山縣有朋の小田原別邸の別庵として編入されました。
山縣の小田原別邸は、古稀庵のほか、暁亭、皆春荘により営まれていましたが、当時の場所に残る建物は皆春荘が唯一となっており、板橋地区の歴史的風致を構成する優れた意匠の数寄屋建築とされています。
当時、近隣には実業家で茶人の益田孝(鈍翁、掃雲台)や大倉喜八郎らが別邸(共寿亭)を構えており、明治・大正から昭和前期にかけて、さまざまな政財界人や文化人がこの界隈を行き交い、歴代総理大臣をはじめ日本の歴史に名を刻んだ数多くの人物が、ここ小田原へ頻繁に往来していました。
〔皆春荘ウェブページより〕

入口の門を入ると、石段の上に建物があります。
建物が遠くに見えるように、だんだんと幅が狭くなっているそうです。
パンフレットに寄れば、玄関は、建物と45度ずれていて、入口の門の方を向いていて、参道からは玄関以外が見えないようになっているとのことです。なかなか趣があります。

入口に、「皆春荘」の額が掛けられていました。山縣有朋の自筆と言われているそうです。

中に入ると、最初に、大きな液晶画面で、解説のビデオを見ることができます。
週末だったのですが、ほかに全く人はいませんでした。

お庭のメンテナンスをしている方にお話を聞きながら、お部屋をゆっくりと見て廻りました。こちら、奥のお部屋、離れです。軒の深さが特徴だそうです。

離れの床の間です。

天井は、スギ材が利用されているそうです。

庭園からみたところです。南側が大きく空いています。
誰も居なくて、風が通って、気持ちが良く過ごせます。

庭園は、令和6年10月から閉鎖して整備工事をし、令和7年3月に公開を再開したようです。
庭園は、ほかの邸宅と同様に山縣が自ら作庭を指揮したと伝えられ、山縣の作庭理念のーつとして知られるのが「自然主義」です。限られたスペースの園内に、山・川・海といった雄大な自然を表現したものとなっており、かつては、西方には天下の剣をうたわれる箱根山、南東方には相模湾が眺望されました。
山縣は作庭に秀で、特徴として、自然地形を利用した築山状の盛り土で水源としての山地を表現、芝生による緩やかな起伏の中に浅い水景がある伸びやかな景観を好み、石が隠れない程度の水量で底石の間を流れる音を楽しんでいたと考えられます。
庭園内に水景を設けるための水源として山縣水道を開き、庭園の北東より南西にかけてせせらぎを造っており、現在も形を残しています。
〔皆春荘ウェブページより〕

この日は少し曇っていたので見えませんでしたが、木々の合間から相模湾を眺めることができるそうです。

古希庵
皆春荘から少し坂を下りたところに、古希庵。山縣有朋の別荘跡です。

この建物は、明治の元勲山縣有朋(首相、枢密院議長、陸軍元帥)が、明治40年(1907)、70歳のときに構えた別荘です。
明治20年(1887)に新橋・国府津間の鉄道が開通すると風光明媚で温暖な小田原は別荘地として注目を集め、大正12年(1923)の関東大震災に遭うまで別荘全盛時代となり、市内には伊藤博文の滄浪閣、陸軍大将大島義昌、海軍大将瓜生外吉、子爵榎本武揚、松永安左エ門、長谷川如是閑、益田孝、男爵大倉喜八郎らの別邸、邸宅がありました。
相模湾と箱根山を借景に築造された「古稀庵」は、有朋の所有であった目白椿山荘・京都無隣庵とともに、近代日本庭園の傑作といわれています。
〔小田原市ウェブページより〕

あいおいニッセイ同和損保の研修所になっていて、日曜日だけ、庭園を見ることができます。といっても、入口も無人で、入園料100円を入れ物に入れ、パンフレットを取って、建物の脇から庭園に向います。

こんな小路を進んでいきます。

進んでいった先に、こんな立派な廊下があります。

順路が示されていて、順路1は、「聴潭泉」だそうです。
庭園は、谷水を巡らせ、高低差を利用していくつかの滝が設えられているとのことです。

こんな感じで、谷水が雰囲気を出しています

こちらでは、他に1組、見学に来ている方がいました。
と言っても庭園を見るのに混雑するということもなく、ゆっくりと堪能しました。

ちなみに、建物は洋館があり、栃木県矢下市にある山県農場に移設されて、「山縣有朋記念館」として保存されているそうです。
松永記念館
古希庵から少し坂を下がったところ、松永記念館に向う小路です。
その入口に、案内表示と一緒に、看板があります。

「板橋の別荘群」の解説でした。ちょっとはがれかかっていますが。

この小路、ちょっと急な階段でした。
降りる途中から振り返ってみたところ、こんな感じです。

小路を下り、道を少し進んでいった先に、松永記念館です。

「小田原市郷土文化館分館」だそうです。

戦前・戦後と通じて「電力王」と呼ばれた実業家であり、数寄茶人としても高名であった松永安左ヱ門の古美術品を一般公開するために建設した施設です。
〔小田原市観光協会のウェブページより〕

入口を入ったところに、池があります。散策路があって、池の周りを歩くことができます。奥の方に、茶室があります。

池のほとりには、記念館の本館・別館と収蔵庫があります。
松永記念館は、戦前・戦後と通じて「電力王」と呼ばれた実業家であり、数寄茶人としても高名であった松永安左ヱ門(耳庵)が、昭和21年に小田原へ居住してから収集した古美術品を一般公開するために、昭和34年に財団法人を創立して自宅の敷地内に建設した施設です。昭和54年に財団が解散し、その敷地と建物が小田原市に寄付されました。
市では、昭和55年10月に小田原市郷土文化館の分館として設置し、特別展や企画展を本館・別館展示室で開催しています。また、昭和61年に移築した野崎廣太(幻庵)の茶室「葉雨庵」や、補修保存工事後に平成13年から公開している安左ヱ門の居宅「老欅荘」など、国登録有形文化財となっている貴重な建物も見学及び利用できます。
また、庭園は平成19年2月「日本の歴史公園100選」に選ばれ、四季を通じ様々な花を観賞できます。
〔小田原市のウェブページより〕

記念館の先、遅い階段を登っていきます。

登ったところにあるのが、「無住庵」。国登録有形文化財だそうです。パンフレットによれば、昭和30年に、築200年の農家の古材を利用して建てられ、その後、近隣の民家に移築されていたものが小田原市に寄贈され、令和2年に移築復元されたのだそうです。

外の緑が良く見えて、気持ちの良い庵です。

そして、その奥には、「老欅荘」。こちらも、国登録有形文化財だそうです。

昭和21年に建てられたもので、多くの茶会が開催されたそうで、いくつかの茶室がありました。

小田原市が整備工事を行って、平成13年から一般公開しているそうです。

趣のあるお庭と建物ですね。

そして、入口に戻って、池の周りを廻ります。
入口から正面奥に見えた建物です。

こちらが茶室「葉雨庵」。やはり国登録有形文化財だそうです。

隣にある茶室付属棟「烏薬亭」と併せて、茶会等に利用することができるそうです。

宿泊
箱根板橋の別荘群を見た後、宿泊は、湯河原離宮です。
総評
箱根板橋の別荘群。
観光客も少なく、ゆっくりと見て廻ることができて、一度訪ねてみるのに良いかな、と思います。あとは、紅葉の季節は、綺麗だろうな、と思いました。





